音楽生活について反省してみる

以下は、あるアマチュアシンガーソングライターであるSさんのライプを聴きに行った翌日に友人(I君、M君、Oさん)に宛てたメールです。 現在の私の心境が良く表現できているので、わざわざこちらに転載しておきますね。 若気の至り(80歳の方から見ると50歳はヒヨッ子なんだそうです)でかなりテンパッているのが面白いですw
???????????以下 メールのコピー です。

 歌は良かった。やはり歌に全身全霊で臨んでいるのがわかる。 我々は上品すぎる。 カッコつけすぎ。 全てを曝け出して生身の音を出すというのは無理なのか? 結局、普段、そして今までの人生で、すべてを曝け出して生きてこなかったのにそういう音が出せるのか? という疑問にたどり着く。 
 彼らも、もちろん普段から 生身を曝け出している訳ではない。 人間は皆ェェカッコシィなのだから、カッコ悪いことは隠そうとするのは当たり前。 ただ、彼らは自分の意思に反して 生身を曝け出されてしまったか 或いは 生身なんかどうでも良いと思うくらいのひどい精神状態になってしまったかの過去を持つのではないかと思う。 だから、歌っている姿にオブラートみたいなバリアが無い。
 Sさんは貧相なサラリーマン風情(失礼!)なので、最初は、「なんやこのおっさん」という感じの態度を示していた対バンのヤクザ風ブルースマン達も一曲目の途中から真剣に聞くようになった。そしてSさんは2曲目のアタマからいきなり手拍子を要求する。 しんじられない! でもみんな抵抗無く手拍子をはじめる。 最強!  曝け出した奴は強い。
 ただ、私の場合、このまま平穏に暮らしている限り、自分が生身を曝け出すのはあと100年はかかる。間違いない。さすがにこれは待っていられない。それじゃぁどうするのか? ヒント → 世の中の感動を与えるミュージシャン全てが 曝け出した奴ではない。 それ以外の奴らは何をしているのか? それは冷徹な理論とテクニックに裏打ちされた完璧な曲と演奏のコントロールによって感動を演出する。
 曝け出せない我々の演奏が聴衆に響かないのは、曲と演奏のコントロールがまったく出来ていないためだ。 曝け出せるミュージシャンはそういうコントロールなどしないでも心に響く。 我々は勘違いをしてその程度のコントロールでOKと思って、結局ダサイ演奏を垂れ流してしまう。
 さあワタスはどちらに行けばよいのか? 100年待つか、理論とテクニックか? でも理論とテクを磨いていたら結局100年くらいかかりそう。 中途半端なテクニックで聴衆をひきつけるにはやはり自分を曝け出すしかないのか。
 しかし、この「曝け出す」という意味というか解釈がとても難しい。 「徹底的に自分本位」なのか「仏様のような心」なのかよくわかんねーし。 もしかしたら、 ェェカッコシィな自分を「わかった=許した」上でのェェカッコシィなのかも知れない。  それと「もぅどーーーにでもなぁれーー」の心境も大事かも。 結局よくわかんねーし・・・ クスリやると曝け出した気分になるんだろぉなぁ。。。 でもこれやったら絶対にアカンし。。。 だいたいそんなの反則で意味ないやん。
 ただいえるのは、今までのように、オリジナル曲にしてもカバーにしてもテキトーにやったらアカンということ。 テキトーにやっても結構騙したりできるので、今までは本当にテキトーだった。 そんなんじゃアカンということ。 本当にその曲で何を伝えるのかちゃんと考えたのか? そのフレーズは本当に必要か?? 一番適切な音なのか? それを弾くためにどれだけ準備した? コードがあればテキトーにやります・・って? 本当にそれで良いのか? ピアノしか弾かないからって歌詞すら憶えていないって、いったいオマエは何様よ? ということなんだ。
 その時その時で最善を尽くして、そして、自分を曝け出すことを「出来ないなりに必死で」やること! そして、最善の努力をして曲をコントロールしようとすること! 最後に、客によく思われようという期待はしないこと!  必死になって時間をかけて作り上げたものを徹底的に叩いてもらう。コテンパンに貶してもらう。 それで悔しくて泣く。 ここが重要。 悔しくて泣けないのはアカン。 だいたい、ここ30年ほど悔し涙を流したことがないし。 真剣に物事に取り組んでいない証拠。 ほんまにこれまでの我が人生のテキトーさがよくわかる。 悔し涙の中で、たった一人の「泣けた」という言葉はたぶん本当に胸に染み入ります。 
 カテビはこれから真剣に徹底的にやりたいけどやりきれるか自信はあまりないです。 でも、その時その時で妥協せずナァナァを許さずにやっていくしかない。 しかしそうすると結構疲れるし困ったもんだ。 仕事で疲れ音楽で疲れ、、まぁ音楽で疲れるっていうのはある意味幸せなのかも知れんが。 
 Iくんも、Mくんもがんばってくれ。 若さというベールが矛盾した部分を覆い隠すので当分は好きなようにやったらよいよ! 40歳になったらいろいろ考えよう。
 Kさんはあと数年で岐路に立つやろぅ。 それまでに真剣に音楽に取り組めればOK。 テキトーはアカンと思う。 Kさんの歳=40歳代でテキトーが許されるのは 曝け出した人のみ。 さもなくば、テキトーで済む社会でしか生きられない。
 私は岐路でしばらくウロウロしてそう。 もしかしたらテキトーで済む社会に戻っていくのかも知れない。 残念ながら多分可能性はそちらの方が高い。 そしたら一切オリジナルはやめる。 オリジナルをやめても、70Sの音楽、クラプトン、3コード、jazz古典、、、、楽しみは沢山ありそうだし。  でも、それはとても哀しい。 哀しくて哀しくてえんえん泣きながらWonderful Tonightの伴奏をしているかも。 とにかくそうなっても「大真面目に必死で」コピー曲を演奏することは約束するよ!

????????以上 コピペ終わり
要は、テキトーはアカン ということで。 ちゃんちゃん! でも、今でも十分テキトーなdotchyであった。。。
それと、コピーが全てテキトーということではありませんので誤解せんといてくださいね。 コピー、カバーでも真剣にやっている方々の演奏はそれはそれは素晴らしいものがあります。
さらに、コピーをのんびりとテキトーに演奏して楽しむのも ほんまに楽しいことなんです。 そういう音楽の楽しみ方も絶対にアリということですね。 まぁ、音楽にはいろんな楽しみ方があるということかな。
とりあえず、私はこれからもテンパっていきます♪

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