パトロンと音楽家という観点から見た音楽ビジネスの構造

「パトロンと音楽家(ミュージシャン)との関係」
昔から、音楽家はパトロンに養われてきた。 
現代の音楽の基本構造である平均律をバッハがとりまとめた18世紀以降、パトロンとミュージシャンとの関係は大きく3段階に分かれて変化してきている。
そして、21世紀に入ってから、その構造が次の段階に移行しはじめ、2010年の現在、その姿がはっきりと見えてきている。
パトロンと音楽家(ミュージシャン)との相関関係。 その構造だけに焦点を絞って見たとき、
18世紀から19世紀半ばまで(第1世代ミュージシャン)
 ・パトロンは宮廷や貴族であり極少数。
 ・パトロンは宮廷音楽隊や姉弟の音楽の先生として音楽家を抱え込んでいた。
  いわば、パトロンと音楽家は個人的なつながりで、宮廷や貴族など特権階級だけが音楽を享受していたと言える。
19世紀半ばから20世紀初頭まで (第2世代ミュージシャン)
 ・演奏会というイベントを通じて広い範囲から小額ずつお金を貰うシステムが完成
 ・音楽学校が出現し、音楽家は教師となり、一般人も教育が受けられるようになる。
  
  この時代はパトロンの細分化が進んだ。 それと同時に、音楽の世俗化が進み、パトロンが音楽家に直接与える影響は小さくなっていった。 
  特権階級でなくても音楽が楽しめるというパラダイム転換が起きた。
  
  
20世紀 (第3世代ミュージシャン)
 ・演奏会という枠組みは不変だが、レコードという「録音媒体」による擬似的な音楽の楽しみ方が出現した。トーマスエジソン様様だ。 これによって、演奏会に行かずに音楽が楽しめる=貧乏人でも音楽が楽しめる という2度目のパラダイム転換が起きる。聴衆(パトロン)は更に細分化され、音楽家からは誰がレコードわ買ったのかなどはわかるはずもなく、以降、音楽家とパトロンとの関係は極限まで希薄化していくことになる。
 
  ここで大きな役割を担ったのがレコード会社である。 つい数年前までは、音楽の録音には設備投資や技術者の確保に莫大な資金が必要であった。その結果、音楽家はレコード会社なしでは、レコードやCDを出すことが出来なかった。また、ラジオ、TVなどマスメディアを通じた広告宣伝活動による販売方式も定着し、ますますレコード会社の影響力が強くなった。最終的なパトロン=お金を払う人 は一般大衆であることにかわりはないが、音楽家とパトロン(大衆)の間にレコード会社が入り込んで両者をコントロールするようになった。
  
  レコード、CD、ラジオ、TVなど、技術の進歩と共に高品質の音を最終リスナーに届けることで レコード会社はその存在意義を保ちつつその影響力を年と共に増大させていった。 最初のうちは、レコード会社は音楽家と最終リスナーの架け橋にすぎなかったが、20世紀末には、レコード会社そのものが「音楽」を牛耳る存在となっていった。
  
 強引な広告戦略でブームを作り、レコード会社が音楽家をチョイスするようになり、選外となった音楽家はプロにはなれないという状況が当たり前の世の中になっていった。 私は1959年生まれだが、つい最近までこの状態が本当に当たり前のことと思っていた。 まるで、太陽が東から昇ることと同じくらい普遍的なことと思っていたのである。
  
  このように、20世紀後半は、音楽の主役は音楽家でも聴衆でもなくレコード会社(音楽事務所)であった。 レコード会社(音楽事務所)は実際の音楽とは関係のない第三者に過ぎないが、その第三者が「力」を持ち音楽業界の主役となってしまったのだ。 レコード会社(音楽事務所)は営利企業であり、営利企業に主役の座を奪われた結果、「音楽家の魂のほとばしりをリスナーが享受する」という本来の音楽の目的が、「売れそうな音楽を生産して儲ける」という目的に変貌してしまった。
  
  また、同時期に、著作権に対する過大な主張が、音楽家と本来パトロンであるべき一般聴衆の関係を更に希薄化させていった。 JASRACの強烈な著作権料の取立てにより、街角から音楽が消えていった。 昭和の頃の歌番組で「歌は世につれ、世は歌につれ」という有名なキャッチフレーズがあったが、音楽が街角から消えてしまった現代社会においては、歌は単なる個人の嗜好品でしかなくなり、地殻変動を伴うような大ヒットが出なくなった。(著作権の問題はこの問題(音楽が売れない)の一部でしかありませんが この問題については別に書いていきたい)
  
  その結果、20世紀末を頂点として、CDの売り上げは毎年2ケタずつ落ちていき、2009年度には枚数ベースで2007年度比で4割近くダウンしている。 CDに代わってダウンロード販売が伸びているが、それを含めても金額ベースの市場規模は3割ダウンしている。
  
  10年間余りで30%も市場規模が縮小し、その下落スピードは衰えるどころか更に増してきている。こんな業種は最早構造不況業種であろう。一見すると、人々は音楽を必要としなくなったと考えてもおかしくない。
  それでは、人々は本当に音楽を必要としなくなったのだろうか。 
  
  昨年、加藤和彦氏が自殺し、遺書に「人々が音楽を必要としなくなった」と書いて物議を醸したのは記憶に新しい。 市場が縮小する=音楽の需要がない=人々が音楽を必要としない という方程式は一見合理的に見える。  でもこれは絶対におかしいと直感的に感じるはずだ。 人間の本質そのものは何も変わっていないからだ。
  
  本来、音楽は、平均律が生まれる前から、民謡などのカタチで人間と共にあった。 
  
続きは また後日。

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