<閉鎖したBlogからの転載です>
ちょっと重たい話題ですが、
今の世の中、生き物を簡単にモノのように傷つける事件や家庭内暴力事件があるたびに言われることがあります。
「親の育て方」「義務教育のあり方」「社会構造」「差別問題」「貧富の差」などなど。。あれが悪い!!これが原因だ!! と。
原因はいろいろでしょうが、結果として起こっていることは、人間として、というか生き物としての「愛情」が足りなくなっていることだと思います。
「愛情」を計る単位として「愛情ポイント」というのを考えてみました。
要するに、「愛情を伴った行為」を受ければ受けるほど、行為をすればするほど 愛情ポイントがたまっていくということですね。
ただし、「愛情を伴った行為」というのは、相手にそれが伝わらなければ意味がありません。 いくら内心で愛情を燃やしていてもそれが相手に伝わらなければポイントにはならないのです。 その行為によって相手が「愛情」を受けたと実感することが大切です。
だから、子供が危険な行為をして それに対してほっぺたを叩くというのは、親が本当に子供の身の安全を思い した行為であれば子供にはそれが伝わるのかもしれません。 それが単に親のイライラのはけ口だったりすると、子供は単に暴力をふるわれたと思ってしまうでしょう。要は、相手がどう感じたかで愛情ポイントのプラスマイナスが決まっていくのです。
そして、
こうして、たまっっていった愛情ポイントが多ければおおいほど 自分以外のものや生き物に対してやさしくなれるのです。
それが愛情力です。
人が生まれて、大人になって独立するまでは、子供は親から無償の非常に強い愛情を注がれて 大人になるまでに愛情ポイントをたっぷりと貯めることができます。
そして、気の合う友達、愛する異性が現れて、結婚して、子供が生まれて、その愛情ポイントを相手に注ぐことによって更にポイントが増えていくことになります。
しかし、
これは一番うまくいった好循環の例であって、現実はそんなにうまくいくものでもありません。
けんかをしたり、いじめ・いじめられ、だましだまされ 誤解し誤解され ポイントは日常生活の中でどんどん減っていくことでしょう。 おそらくごく普通の家庭でも なかなかポイントはたまっていかないだろうと思います。
さらに、親からの愛情が薄かったり、親がいなかったり、陰湿且つ継続的ないじめにあったり、犯罪に巻き込まれたり、親から暴力を振るわれたりしたら 大ダメージを受け、愛情ポイントはトータルでマイナスとなってしまうかもしれません。
さらに さらに、TVなどで暴力的なシーンなどを見るだけでも減っていくだろうし、理不尽だなと思う出来事をニュースなどで知ることでも減ってしまうかもしれません。殺戮を繰り返すTVゲームをしても多分減っていくことでしょう。
そして、
愛情ポイントがどんどん減っていきます。
減るとどうなるか。 ちょっとのことでおこりっぽくなり、負の愛情ポイントを周囲に撒き散らすことになり、自分も更にポイントをなくしていく悪循環に陥ります。
そして、ついにポイントが累計でマイナスとなります。 マイナスになるとどうなるか。その人の行為全てがマイナス方向の行為となってしまいます。 例え、自分が愛情を注ごうと思ってもその行為は憎しみを伴ったものになってしまうのです。
子供を虐待した親の手記等を読むと、自分ではやってはいけないと思えば思うほど虐待してしまうといいます。 なにをやってもマイナスが拡大していくばかり。 そうなると、あとは、他人からの愛情を受けてマイナスを減らしていくしかありませんが、周囲を憎しみで染めてしまうような人に無償の愛情を注いでくれる人などなかなかいないでしょう。 いちどマイナスになってしまったらもう抜け出ることは非常に困難なのです。
こんな、「愛情ポイント累積マイナス」 という人が最近増えているのではないかと思います。 マイナスがマイナスを呼び 社会全体に波及する。 そういう世の中になってきているのかもしれません。 これを書いている自分も もう既にマイナスに向けて急降下中なのかもしれません。
「ありがとう」と感謝すると愛情ポイントは増えるようです。 体力をつけるためにみなさん運動をしていますよね。 それと同じように、いつも感謝の気持ちを忘れないで、感謝の気持ちを具体的に表現する習慣をつけて、「愛情力」を日常生活の中で蓄えるようにしましょう。 それが、マイナスポイントだらけの現代を生きる必要条件なのではないかと思います。
もう既にマイナスになってしまっている人は どうしたらよいのでしょうか。。。。「ありがとう」が言えるといいんですが、それが言えないからマイナスなんですね。 そういう人は、愛情ポイントの極性を変えてしまうことが必要なのかもしれません。
マイナス100ポイントの人でも、極性を変えられればプラス100になります。
残念ながら極性を変える方法を私は知りません。でも、大変なな苦労を重ねてきた方が晩年素晴らしい人格者だったりします。 きっといつかの時点で極性が変わったのではないかと思います。
脳の中のスイッチがひとつ切り替わっただけかもしれませんね。 きっと これではいけないという意識があれば、少しずつ他人からの愛情を受けて、ある日突然極性が変わるのかもしれません。
子供の頃にDVを受けた人は、自分の子供にもDVをしてしまう という説があります。いろいろな書物や体験談を読むにつれ あたっているようにも思えます。
DVや犯罪被害者は、きっと普通の人の何倍も愛情を注がれる必要があるのだと思います。重い病気のあとは、たくさん栄養をとらないと駄目なのと同じように、たくさんの愛情が必要なのです。 そういう状況にある人は、そのことを冷静に受け止めて、愛し合う人が現れたら 感謝しつつ愛情を素直に受け止めたらよいのではないでしょうか。
ここらへんのことは、自分自身ではわからない世界です。 当事者から見たらきっと薄っぺらなキレイごとに見えるでしょう。 こんなことできるわけねぇだろうが と思うかも知れません。 でも、愛情力のある人は、より愛情力をつけて、周囲にポイントをふりまく。愛情力のない人はポイントをコツコツ貯める。
そうすることで、少しずつ世の中を 変えていくしかないのではないかと思います。
P.S
裁判でよくある話ですが、「昔DVを受けていたから」とか「心神喪失だったから」とか「未成年だから」との理由で減刑や無罪になるケースがあります。
これについては、「やってしまった罪」に対する償いはきちんとすべきと思います。
根っこのところで、その人の「自我=Soul」が悪いという訳ではないというのは一歩譲って理解するにしても、「あなたは根本的には悪くはないけども、やってしまったことに対しては あなたしか償うことが出来ないので しかるべき裁きを受けてください」 というのが本来あるべき姿ではないでしょうか。 そうしないと、他大多数のモラルの維持も難しいでしょうし、その結果崩れたモラルによって、また同様の事件が起こり、、、との悪循環になってしまいます。
裁きは受けるけども、償ったあとは、他人からいっぱいの愛情を受ける権利もあるというそういう社会になれば良いのにと思います。
これも、まぁ難しい話ではありますね。
日本国内が、こんな状況なので、海外に移住したいと思う人が増えているようです。 そんなに甘くはないよ? というのが事情通のお言葉ですが、たしかに真剣に検討してみたくなりますね。でも、冷静に考えると、学校のいじめも、政治家・お役所等権力者の横暴も、私が生まれた昭和の時代の方がずっとすごかったんです。 貧富の差もとても激しかったし、愛情力の差もきっと激しかったと思います。
では、なにが違うのかというと、やはり愛情ポイントマイナス人口が急激に増えていて社会全体が殺伐としてきたということでしょうか。
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