角砂糖の意識

[2005年2月25日にUpした記事の再投稿です]

  30年も前のこと。 私は高校生、時は 1975年

  1970年代後半、角砂糖がまだ世の中で大変威張っていた頃だ

  世の中は角砂糖であふれていた

  喫茶店には必ず角砂糖とミルクピッチャーが置いてあった

  高校三年生の時、何かの用事で同じクラスの女の子と喫茶店に入った

  中央線沿線の荻窪という駅の近くの喫茶店だ

  僕が注文したレモンティが運ばれてきたとき、彼女がすかさず言った


  「砂糖はおいくつ?」

  少し背伸びをしたような口調がおかしかった

  不意をつかれた僕は少しめんくらって「あっ。。ひとつ。。」と答えると、

  彼女は、角砂糖の入った砂糖いれから 角砂糖をひとつだけつまんで

  僕の紅茶にポトンと落とした

  実は、僕は砂糖は入れたくなかったのだが、「おいくつ?」と訊かれて
  「いらない」と答えるのは少し恥ずかしい気がしたのだ

  僕は、スプーンでかきまぜずに、飲まずにしばらくそのままにして
  彼女との話、何かの打ち合わせだったかもしれない、を続けた

  角砂糖はティーカップの中で 少しずつ崩れていき、

  

それは爆撃を受けた軍需施設のように見えた。 

 
  もちろんそこには血も死体も絶叫も悲しみもなく、
  琥珀色のきれいなオブジェだけがゆらゆらと揺れていた

  やがて彼女が頼んだホットコーヒーが運ばれてきた
  彼女は 「私は砂糖はあまり入れないの」 と言って、
  
  砂糖入れの中から、小さな角砂糖を取り出してひとつだけコーヒーに入れた

  それから、スプーンで渦を作るようにかきまぜて、
  ミルクをほんの少しだけそこに加えた

  ミルクが白い渦となってコーヒーの中でぐるぐると回り 
  やがて 無機質な模様に変わっていった 


  

「静」の角砂糖と「動」のミルク

  ふと、このことを彼女に話そうと思ったが、結局言い出せなかった

  僕は 彼女の話に相槌を打ちながら、
  この店の会計を自分が奢るべきかどうかについて
 
  思いをめぐらせた

  「ここは奢るよ!」

  結局、それも言い出せずに 割り勘になったような気がする

  外に出ると 春の雨が降り出していた

それから一年後、偶然に僕と彼女は同じ大学のキャンパスにいた、しかも同じ学部だった

   僕は、中野にある古いクラッシック喫茶の「クラッシック」というお店に彼女を誘った

   そこは、とても古い建物で古い内装、古いオーディオ機材に囲まれた「戦後を思わせる」ような雰囲気がとても気に入って毎日のように通っていた場所だ

  お嬢様育ちの彼女は、その古くて暗いそのお店の雰囲気に一瞬たじろいだが、キョロキョロと周囲を見回した後こう言った

  「こんなお店初めてだわ、なんだか変わっていて素敵」

  入店してすぐに、彼女が好きだったブラームスの第三交響曲をリクエストして、それがすぐに流れていたからそんな気持ちになったのかもしれない

  その言葉に勇気づけられた僕は、しばらく他愛のないを会話したあと、

  彼女に「お付き合いしてください」という主旨の告白をし、そしてあっさりと振られた

  告白した言葉も振られた言葉も何一つ覚えていないけど、告白してすぐに振られたのだけは確かだ

  最後に彼女が言った言葉

  「ゴメンナサイ」

  本当に申し訳なさそうに言われたのだけは覚えている

  いつのまにか運ばれてきていたコーヒーは冷めてしまっていた

  それぞれのコーヒーカップの横に大小二つの角砂糖がついていて、彼女は二つともコーヒーに入れ、僕は二つとも入れずに

  お互いに無言でコーヒーを飲んだ

  どれだけ時間がたったのか

  そのあとの記憶がない

  彼女が階段を下りる後ろ姿だけ覚えている

  一人残された僕がそのあとどうしたのか、どんな思いだったのかも忘れてしまった

  時の流れとはそういうもの

  角砂糖のことは覚えているのに肝心なことは忘れてしまっている

  僕が作った曲、僕のお気に入りの曲「Hattory」の歌詞の中に

  

角砂糖とカラメル色のミルクピッチャー

  というフレーズが出てくる

  それほど僕の心の中に角砂糖というモノがしつこく存在しているのかもしれない

  僕の死の間際には、またあの角砂糖のことを思い出すのだろうか

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