祇園祭は八坂神社のお祭りなので神事であることに間違いありませんが、お祭りを通じて色々なところに仏様由来のものがたくさん出てきます。一体これはどういうことだろうかと疑問に思っている方もたくさんいらっしゃると思います。 その理由を探ってみました。
神仏習合の名残り
明治元年の神仏分離令までは、日本全国、神社とお寺は別々ではなくてある意味ごちゃごちゃになって民に祀られていました。 八坂神社の前身である八坂社も、昔は延暦寺配下の社でありお寺と神社が揃って存在していました。 しかし明治元年の神仏分離令によって八坂社は、神社に統一されて今の八坂神社が生まれたのです。
祇園祭の行事や催し物の中には神様や仏様が色々とたくさんいらっしゃるので混乱してしまいますが、祇園祭は神仏分離のずっと以前からあるお祭りであるため、神様も仏様も混在していてもおかしくはないわけですね。
山鉾が祇園祭の「風流」として発達してきたから
また山鉾の飾り物にはキリスト教系の立派な芸術作品ともいうべきものが取り入れられたりしていますが、これは、祇園祭が神事としての「神輿」と風流としての「山鉾」の二つに別れて進行していくという祇園祭特有の事情によるものです。
神輿は神事として八坂神社を中心に進められますが、山鉾は元々 疫病をもたらす悪霊を宥めるために行った「風流」としてできたもので且つ山鉾は初期の頃から京都の町衆が中心となって行ってきました。
室町時代以降、京都の町が繁栄するにつれ山鉾町間で豪華絢爛な出し物や飾りつけで競い合うようになり山鉾は「動く美術館」などと称されるようになったのですが、当時、朝廷と幕府があり海外から輸入したものが一旦京都を通っていたことからペルシャ絨毯などの舶来品がカネさえあれば手に入ったという特殊環境と京都の町衆が金持ちになったということでそのようなことが可能となったわけです。
また、山鉾巡行は町衆が主体で行っていたことから宗教とか国とかに関係なく自由に出し物や飾り物が選べたということもあると思います。
各山鉾毎に飾り物や出し物が全く違い、それぞれに歴史がありますので一つ一つそれを辿っていくのも楽しみですね。
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