長刀鉾の天王人形
祇園祭の鉾に「天王さん」と親みを込めて呼ばれている人形があります。鉾の屋根の上に乗っている全長20mを超える真木(しんぎ)の中程に鎮座する小さな人形ですが、それぞれの鉾の守護神でありとても重要な役割を持つ人形です。
もちろん長刀鉾にも天王さんがいらっしゃいます。
その名も「和泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)像」です。

和泉小次郎親衡(いずみこじろうちかひら)像
由来〜神が宿る長刀を京都に返納した武将
和泉小次郎親衡は源氏のとても強い武将で、祇園感神院(今の八坂神社)から三条小鍛冶宗近が作った大長刀を譲り受けて愛用していたが次々と「怪奇現象」が起こりとても手に負えないということで返却されたとの逸話が残っています。
その後和泉小次郎親衡は、1213年(建歴3年)に源頼家の子供千寿丸を擁立して時の支配者北条氏を排除しようと画策して失敗しその後行方知らずとなりました。
それから300年後の1522年(大永2年)に神のお告げにより長刀鉾町でこの長刀を飾ったところ当時流行していた疫病が治まり、その後返納しようとしたら長刀が重くなって動かなくなったということでそれ以来町内に祀るようになったと言われています。
1213年に長刀を返却したことから守護神として祀られているということですね。
歴史〜300年に亘り代々人形を作り続ける人形職人家
1726年に京都の人形職人枡屋庄五郎が作成したものが最初の人形です。人形は23cmで、右手に大長刀を持ち左肩に小舟を担いだ姿です。眼光鋭く正面を向いています。
初代人形は228年間長刀鉾の上で世の中の移り変わりを眺めてきましたが昭和28年に老朽化で引退、翌年には枡屋庄五郎の直系の伊東久重家にて新調されました。
ところが、昭和60年の鉾立てのときに鉾が転倒して人形の首と手が折れてしまったため翌年同じ伊東久重家にて新調され現在に至っています。
18世紀初頭の人形職人が今も続いていて祇園祭の同じ人形を作り続けているというのが祇園祭の凄さだと思います。
この由緒ある人形職人家のblogにこの人形についての記事がありましたのでリンクを貼っておきますね。
他の鉾の天王人形についてはこちらの記事をどうぞ!

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