祇園祭 山鉾シリーズ 今回は前祭りの放下鉾をご紹介します。これを読めばあなたも放下鉾に行ってみたくなること間違いなしです♪

放下鉾 2018年会所公開直後の様子
名称
放下鉾(ほうかぼこ) (前祭)
放下鉾とは

放下鉾の概要がよくわかりますね。
放下鉾は前祭の鉾(ほこ)で、放下僧(ほうかそう)を祀り芸事全般にご利益のある鉾です。
提灯を最初に電灯化したり保存会を最初に設立したりと新しいことを積極的に取り入れる特徴がありますが、女人禁制を守り続けるなど基本は伝統を重視する鉾であります。守るべきところはきっちりと守り、変化すべきところには果敢にチャレンジする素敵な鉾ですね。
[保存会ウェブサイト]
放下鉾の概要
場所
[住所]
京都府京都市中京区新町通四条上ル小結棚(こゆいだな)町
小結は「こむすび」ではなくて「こゆい」と読みます。小結とは髷(まげ)を結ぶ時に使う組紐のことで、昔この地域で小結を売る店がたくさんあったと言われています。
新町通りは中世の時代から栄え、町尻小路と呼ばれていましたが、豊臣秀吉の京都改造後新町通りと呼ばれるようになりました。
三越前身の越後谷呉服店の創業者で三井財閥の創始者である両替商の三井高利(みついたかとし)の両替屋が置かれたのが新町通り六角町です。
現在でも京呉服このように新町通り界隈には昔からお金持ちが多く、山鉾を維持するための資金をふんだんに持っていたことから新町通りには多くの山鉾が集まりました。
また新町通りには現在でも京呉服問屋が軒を並べ京町屋も多く残っておりとても風情のある街並みを体験できます。
祇園祭中は町屋造りの一般民家が家宝の屏風や美術品を窓を開け放して展示する「屏風祭り」も行われます。
電車の下車駅とアクセス方法
JR京都駅からは地下鉄で2駅目の烏丸駅が最寄り駅です。
・地下鉄烏丸線烏丸駅下車
・阪急電鉄京都線烏丸駅下車
– 地下鉄も阪急も地上への出口は共通です。24番出口が一番近い出入口です。
四条通りを西向きに歩いていくと一つ目の信号が室町通りでその交差点を更に先に進んで、
二つ目の信号が新町通りと四条通の交差点です。
そこを右に曲がって新町通りに入るとすぐに放下鉾がが鎮座しているのが見えます。
24番出口からは2分、ホームから4-5分です。
<<注意>>
毎年宵々山から宵山にかけて出口規制が行われ時間帯によって出口専用になったり入口専用になったりしますのでご来場前に阪急電鉄のウェブサイトの「沿線お出かけ情報」を確認されることをお勧めします。
地図
大きな地図を表示放下鉾の歴史
・いつ頃から放下鉾があったのかについてはそれについて記述された資料を私はまだ見たことがありません。天王人形が享保の時代(1700年代)に作られたと言われていますのでかなり古くからあったと思われます。
・大正11年(1922年)最初に放下鉾保存会を設立。
・昭和4年(1929年)生稚児(いきちご)を人形に変更。
・2012年巡行の最中に囃子方が鉾を降りて離脱するという事件が発生。その後囃子方と放下鉾保存会が激しく対立し翌年から放下鉾保存会がその下部組織として囃子方を別に組織して現在に至ります。本件に関してはどちらが善でどちらが悪と断じるようなものではなく真相もわかりませんが、当時の事情を少し説明しているblogがありましたのでご紹介いたします。
・2019年石持ち(大車輪を支える巨木で出来たフレーム)を新調したとのことです。それまでは明治24年製の石持を使用してきましたが経年劣化により新調することになり、1990年代から新調するための松の木探しが始まり、2000年に石持に適した木がようやく見つかりその後倉庫で17年間水抜きをして今年完成したとのこと。なんと30年かけて作られたということですね。 重さは560kgもあります。
巡行日
前祭 7月17日
御神体とその由来
ご神体ではありませんが、天王人形は放下僧の姿の木彫りの14cmの人形です。作者不明で享保の頃の作だと言われています。
放下僧というのは、中世の時代に手品や曲芸を見せて街頭での説法時の集客をしたり投げ銭を貰ったりした僧侶のことです。放下鉾は、その放下僧を題材にした謡曲「放下僧」を風流として取り上げたと伝えられているそうです。
構造体
大きさ・重量
重量10.32トン 高さ15m
鉾頭
鉾の一番てっぺんにある鉾頭。放下鉾は洲浜(すはま)形の2本の棒がついています。「日月星三光(さんこう)」を象徴してその二本の棒は光芒を表すとされています。
天王人形
放下僧の姿をした14cmの木彫りの人形です。他の鉾の天王人形は天王台に乗っていて上に小屋根がありますが、放下僧はもともと屋外で活動していたことから放下鉾には小屋根がありません。

少しわかり難いですね。一番上にある白い箱のようなものが天王台です。人形は残念ながら見えていませんorz
稚児人形

放下鉾の稚児人形 三光丸、会所二階にて公開。すぐ近くで見ることができます。
もともと本物のニンゲンの子供が稚児として乗っていましたが、昭和4年に人形に変更されました。この人形は「三光丸(さんこうまる)」という名前です。関節が動き巡行では鉾の上で三人の人形方によって稚児の舞を演じます。
巡行までは会所の二階の奥に鎮座していて一般公開されています。
飾り
見送り : 皆川泰蔵作のローケツ染め「バクダッド」(昭和57年寄贈)
前懸 : 中東連花文(ちゅうとうれんかもん)インド絨毯。現在は日本でコピー新調されたものを使用。
授与品
授与品というのは会所で売っているグッズのことです。 放下鉾は結構伝統を重んじて商業主義を良しとしない気風のある鉾ですが、最近少しずつ授与品も充実してきたようです。

2019年の放下鉾手拭

2019放下鉾手拭デザイン、フクロウの新作が良いですね。

実際に巡行で使った真竹を使ったストラップ。10tonの重さに耐えた竹というこど「へこたれない」ご利益があるとかないとか。。。
・粽
・巡行辻回しで使う竹から作ったキーホルダー
・扇子
など。
ご利益
厄除け・疫病除け
芸事成就
芸を嗜む僧侶である放下僧を祀っていることから「芸事全般」にご利益があるという「芸事成就」にとても魅力を感じますね。京都には芸能神社など芸事の神様がたくさんいらっしゃいますが、この放下鉾もそれらの神様に負けず劣らず確実にご利益があるのではないでしょうか。

鉾の横に掲示されていました。美術、音楽はもとより、勉学、サッカー、野球に至るまで広範囲にカバーしています♪
搭乗拝観
拝観料はなし(会所入口で寄付・・しなくても入れます)
会所の2階までは女性でも入れますが、鉾には女性は上がれません。
放下鉾の行事スケジュール
・スケジュールは年によって変わる可能性がありますので必ず再確認してくださいね。
鉾建て日
7月11日 早朝より
この日から鉾の組み立てを始めます。
まずは部品を会所の奥の土蔵から出すところからはじまります。この土蔵は会所よりも古く嘉永2年(1849年)完成で、祭りの期間中だけ土蔵2Fと会所の2Fの間に木製の渡り廊下が架けられて物の出し入れを行うようになっています。この渡り廊下も含めて京都市の有形文化財に指定されています。

こんな感じで蔵と会所を一時的につなげます。
新町通のど真ん中で組み立てていくため、この日以降新町通は交通規制がかかります。

鉾の組み立てが始まり通子止めになった新町道り。

2018/7/11 組み立て途中の放下鉾
曳き初め日
7月13日 午後15:00-
組み立てが完成するとまずは曳き初めをします。
町内を数十メートル往復します。この曳き初めには一般市民も参加可能で、早い者勝ちで綱を引くことができます。
会所公開・授与品販売
7月14日 午後13:00~ 7月17日 20:00
そしていよいよ巡行前日の深夜まで一般公開されます。その間は、夕方から囃子方が独特のお囃子を奏でとても風情のある空間となります。
放下鉾のすぐ横に会所があり、入口で寄付(いくらでも良い:なしでもOK)をすると会所の二階に上がることが出来ます。二階には、稚児人形の三光丸や飾りなどが展示されています。また土蔵との渡り廊下もすぐ近くで見ることができますので是非一度上がってみてくださいね。

稚児人形の天王丸の他色々なお宝が展示されています。ここから男性のみですが鉾にもあがれます。
さらに会所の二階から放下鉾に上がることができます。

昼過ぎに行ったらガラガラで5分ほど独占できました。(2019/716)
放下鉾には一般の人も上がることが出来ますが、伝統を重んじて女人禁制ですので女性は鉾には上がることは出来ません。鉾と会所を結ぶ渡り階段の下で係員がいて「女性は上がれませんよ」と止められてしまいます。
放下鉾は長刀鉾や菊水鉾のようにいつ行っても長蛇の列という感じではなく、お昼前に行くとガラガラで余裕をもって鉾の中を見物することができることが多く、
です。
また、
というのも嬉しいところです。
祇園祭前祭りに来られた方は是非放下鉾に立ち寄ってみてくださいね♪

放下鉾から下を見るとこんな感じです。
山鉾巡行
7月17日の朝から巡行します。
順番は「くじ取らず」といって最初から決まっていて毎回最後から三番目です。ちなみにラスト3は「全てくじ取らず」で最後尾は船鉾、最後から二番目は岩戸山です。
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